ほぼ毎日ブログ。。。バスケットボール誕生 – カリモク特約店エーアイディー

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ほぼ毎日ブログ。。。バスケットボール誕生

こんにちは!

カリモク特約店

エーアイディーの村田です。

インテリアのこと、

インテリア以外のこと、

日々感じたことを肩の力を抜いて

綴っていこうと思います。

 

画像は、

ジェームズ・ネイスミス氏、

 

1891年、

彼がバスケットボールが考案しました。

 

当時彼は、アメリカ、

マサチューセッツ州にある、

YMCAトレーニングスクールの

体育部教官でした。

 

ちなみに、

マサチューセッツ州はアメリカのここです。

 

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右上の赤いところです。

かなり北です。

冬は雪が積もります。

 

そんな環境のところで

体育教官をしていたネイスミス氏は、

屋外でスポーツが出来なくなる冬場には、

室内で体操中心の授業をせざるを得ませんでした。

 

 

そして、

その授業に多くの生徒が不満を持っていることを

問題に感じていました。

 

要するに、

楽しくなかったんですね。

生徒にとっては。

 

夏場、屋外でする

アメフトやサッカー、ラクロスと比べると・・・

その気持ち、分かります。

 

そこで、

ネイスミス氏は考案したのです。

バスケットボールというスポーツを!

 

ここで、

バスケットボールの画期的なところは、

ゴールが水平で高いところにあることです。

 

b4

こちらが当時のゴールです。

たまたまあった、

桃を入れる籠(かご)です。

 

それをこんな風に設置したようです。

 

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その時の籠の高さが、

10フィート (3m05cm)。

その高さは今でも変わっておりません。

 

その「籠」を使ったため、

「バスケットボール」と名づけられました。

 

ちなみに、

日本語でバスケットボールのことを

「籠球(ろうきゅう)」と書きます。

街で「籠球部」と書かれたジャージを着た若者は、

バスケットボール部です。

 

当時はバックボードも無く、

籠には底があったので、

ゴールに入ったら

ハシゴや棒で取り出していたようです。

 

で、

現在のゴールはこんな感じです。

 

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観客席から手で妨害することが頻発したために、

遮蔽物としてバックボードが設けられるようになったんです。

 

ところが、

観客から見えないことになったので、

現在では透明のボードになりました。

 

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ねっ、

透明でしょ!

 

学生時代、バスケットボール部だった私には

透明ボードは憧れでした。

 

だって、

学校のボードは小中高と木製ボード。

 

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大会で勝ち上がっていかないと、

透明ボードの体育館で試合が出来ません。

 

また、

マニアックな話、

木製ボードと透明ボードの摩擦係数が異なるんです。

 

簡単にいうと、

木製はスベル。

透明はスベラナイ。

 

日頃、木製ボードでしか練習していないチームは、

透明ボードでプレイすること自体が、

「非日常」。

 

平常心で戦えるわけがありません。。。

 

 

おっと、

話がだんだん逸れてしまいました。

バスケの話だと熱くなってしまいます。

 

バスケットボール誕生から、

はや120年余り。

 

今でも私は、

週一回、

近くの中学校体育館で

バスケをプレイしています。

 

そこには、

3世代で来ているメンバーもいます。

「おじいちゃん」

「その息子」

「そして孫」

 

 

みんなバスケを通じて、

人生を豊かに感じています。

 

ネイスミス氏に感謝です。

 

そして、世界のバスケを盛り上げてくれる

FIBAに感謝です。