東京下町「ふるさと」散策 パートⅡ
こんにちは。本社の加藤です。
生まれ育った町の今の様子第2弾です。(ちなみに第1弾は昨年の5/27号です。良かったらもう一度見て下さい。)子供のころのエピソードも織り交ぜてご紹介します。
まずは大昔の写真です。私も東京タワーも昭和33年生まれの同い年です。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」の世界そのものでした。行きつけの駄菓子屋さんは2件、ソースせんべいに梅ジャムをぬり、メンコで遊びました。
また5件もあった銭湯は子供たちの社交の場でもあり、前には必ず屋台のおでん屋さんが出てました。
縁日は2ヶ所(神明神社7の日と新堀商店街2の日)、お小遣い(小銭)をポッケに押し込み必ず行きました。楽しみでした。
ちなみに昭和33年の街並みは、弊社の本社所在地である新横浜の「ラーメン博物館」で味わう事が出来ます。レトロ感最高です。
今回のスタートは都営地下鉄三田線「芝公園駅」。
この周辺がいわゆる芝公園の中心地です。芝公園という地域はとにかく広いので、主だったスポットをご紹介します。
まずは「増上寺」です。芝増上寺は上野寛永寺と並ぶ徳川家の菩提寺です。
国道1号線(第二京浜:日比谷通り)に面しており、箱根駅伝のTV中継でも度々映ります。
大殿(本堂)が東京タワーを背後にするこの写真のアングルが観光客の大人気です。
浄土宗の大本山でもある増上寺には6人の将軍と皇女和宮さまなどの墓所があります。
僕が子供のころの境内はとても広く、今のようにコンクリートに固められてなくて、自然がそのまま残る里山のような場所でした。駆けずり回って遊んだ記憶があります。
三代将軍家光のお墓にお〇っこをかけたりして、悪ガキでした(笑)。芝公園全体が僕たちのテリトリーで、僕は7つの基地(?)を持っていました。
写真の説明文を是非読んで下さい。
増上寺の隣にある芝東照宮は日光・久能山・上野と並ぶ4大東照宮と言われています。
次に芝プリンスホテルです。
僕が子供のころは9月に行なわれる「芝新明だらだら祭り」で駐車場に周辺各町のお神輿が50基くらい集合しました。壮観だった!(今もやっているのかな?隔年になったとは聞きましたが・・・)
今日の最後は東京タワーです。
私と同い年のタワーを、我が家の窓からいつも眺めていました。
良く遊びに行きました。日本では初めて開業した蝋人形館は当時からありました。
第一展望台までは建物の屋上から階段で登る事も出来ますので、健脚に自身の有る方はチャレンジしてみて下さいね。
また、むかしは南極観測船で置き去りにされたタローやジローたちの像があったのですが、いつの間にか無くなりました。
タワーの下の公園も昔の自然が残っていて、「螻蛄(おけら)」が捕れました。
また僕は毎年夏になると蝉取りに励みました。アブラ・ミンミン・ツクツクボウシをいっぱい。
自分で言うのもなんですが、網に細工をして高いところの蝉を捕まえる名人でした。
名人は木の下の方にいる蝉は捕まえません。
卵を産みに下りてきているメスだから。えらい!(笑)
他に芝公園にあるものは
●男松原・女松原(僕たちはここでサッカーや野球をやりました。また黒船でやって来たぺりー提督の像があります。)
●港区役所
●中華料理の留園(むかしは「リンリンランランりゅうえん・・・」というTVコマーシャルで有名)
●アクアフィールド芝公園(プールとフットサルのグラウンド:立派になった!むかしは芝しょ〇べんプールと呼ばれていた)
●芝パークホテル
●芝野球場とテニスコート。
●寺、庵多数
無くなったものは
●日活アパート(日本のマンションの草分けで3棟には有名人がいっぱい住んでいました、)
●芝ゴルフ場・芝ゴルフプール・芝ボーリング場(今はザ・プリンスパークタワー東京になりました)
●東京タワーボール
●僕が通った芝幼稚園(お寺)・
●僕の母校御成門中学校(いまは御成門小学校になっています)
●フランス料理「クレセント」(ショーケンと石田あゆみさんが結婚式上げた建物です)
今日はここまでです。最後までお読みいただきありがとうございました。
次回はここから少々足を延ばして、我が家の菩提寺がある麻布十番から、僕が卒業した高校のある六本木を取材します。
今度は少々インテリアの要素を入れますね。